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H市〜

自叙

覚悟を決めたつもりだったが、公な(鍵付きではない)アカウントで文章を、しかも自叙的な文章を書くということにはやはり抵抗があり、あとやっぱり体調悪くなったり、ごちゃごちゃ色々とあって前回の投稿から4ヵ月も経過してしまった。

 

H市に住んでいた頃に通っていた幼稚園は、それなりに人気の園だったようだが、転勤族と地元の成金が混在していたらしく、きっと派閥のようなものも少なからずあったのだろう、と今では思う。

 

この頃はとても楽しかった記憶がある。

極度に少食だった私はとてもとても小さなお弁当箱の昼食さえも完食できずに苦戦していたが、それ以外は良い記憶ばかりある。

うんていをしたり、お友達のお家でパーティをしていたり、バレエやコーラスなどの習い事に通っていたり。

しかし、自分の家にいて、両親と過ごしている記憶が一切ないのである。

 

K市への引越しが決まって、誕生日を目前に仲良しのみんなとお別れすることになり、お別れの意味はよくわからなかったけれど、やっぱり悲しかった。

引越し先の幼稚園にはうまく馴染めず、お庭を行進するのを拒んだり、朝に母親が送ってくれた後イヤイヤをして泣き出すこともしょっちゅうだった。

一度、どうしても嫌で、嫌で嫌でたまらなかったのに、母親に無理矢理手を振りほどかれて幼稚園の先生に押し付けられたのが、すごくすごく悲しかったのは、今でも覚えている。

その園での思い出は、お片付けが上手でいつもロッカーが綺麗、と褒められていたこと。

 

引越しをして習い事も少し変わった。

バレエスタジオが近くになかったので、器械体操を習った。

やっぱり女の子なのでピアノに憧れ、せがんで習わせてもらった。

(勉強をすれば褒められると思ったので)某有名進学塾の小学校低学年向けコース、スーパーキッズに通わせてもらった。

父親の勧めで英会話教室にもいった。

他にも何か習っていた気はするけれど、あまり記憶にはない。

ちなみに器械体操は高校生の終わりまで、ピアノは小2くらいまで、塾は小3の終わりまで、英会話教室は小1か2頃まで。

 

5歳頃に公園で自転車の練習をしていた。

父は当時海外出張が多く、その時も一ヶ月程家を空けていたが中国出張だと聞かされて、母親と2人で公園にいた。

成人してから聞いたが、その一ヶ月の間、父は服役していたらしい。

母親の言う事なので真偽のほどは定かではないが、確かにあの時久しぶりに会う父は、丸刈りだった。

 

幼稚園を卒園し、小学校に入った。

普通の小学生と同じように期待に胸を膨らませ入学したが、数ヶ月すると、学校って思っていたより楽しくないなあ、なんてまるで大学生のような考えを持ち始め、ついには朝になって「学校行きたくない」と言い出す。

親や担任の先生が騒いでイジメなどを疑うので、学校に行きたくないと言うだけでこんなにも大事になるのか、と思いその後は渋々通うことにした。

 

当時私は話すことがとても苦手で、人前で自分の意見を声に出せなかった。

体操を習っていたので休み時間に鉄棒をして注目を浴びたりはしていて、それは気持ちよかったのだが、発言をするということがほんとうにだめだった。

 

それなりに友達もいた気はするが、それはアグレッシブな性格の母によるものだった気もする。

私は一人っ子なので、寂しい思いをさせないようになのか、はたまた人付き合いを覚えさせるためなのか、理由は定かではないが、とにかく母は私に友達を作らせたがった。

小学校入学直後は、その母に気圧されて「友達を作らなくては、、!」と考え、自身の持っていた可愛い消しゴムを配って周囲の気を引こうとしていた記憶がある。

 

健全ではない友達付き合いもあった気がするが、なんだかんだと言っても友達には不自由していなかった。

しかし転校する半年前頃から、大好きだった友達が素っ気なく感じられた。

「一緒に帰ろう」も「今日遊ぼう」も、さらには給食袋を先に取って渡しただけでも嫌な顔をされた。

なんかしたかな、、嫌われちゃったんだ、、、なんて考えていたけれど、習い事も忙しくなり、引っ越すことも決まり始めていたので、モヤモヤは抱えたままだったがそこまで思い煩うことはなかった。

 

引っ越しが決まってから完了するまではほんとうにはやかった。

気がついたら4年生になっていて、気がついたら東京にいた。