読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

17歳

高1の冬で自分の限界値が見えた気がしてほぼバーンアウトしていた私。

それでも。体操をしたくないと思えど他にすることもなかった。他に友達もいなかった。だからほとんど仕方がなく、あと習慣で体育館には毎日足を運んだ。

高2もそんな調子で終わりを告げた。毎日適当な練習をし、試合では当然のように悪い結果がついてきて。自業自得でも、つらいなあと思っていた。

高2に上がる頃、小学生から一緒に練習してきて、一番気心の知れた仲間が体操を辞めた。思えば私も彼女もバーンアウトしていたし、仕方の無いことだった気もする。それでも励ましあって馬鹿みたいに笑って喧嘩して、見習って見習われて、みたいなのがなくなって、悲しかった。

しかも追い討ちをかけるように、その冬にはもう1人の古くからの仲間もクラブを去った。その子は他のクラブで体操を続けたが、やっぱりとっても寂しかった。私も当時のあのクラブの方針には疑問を抱いていたが、逃げたり他を選びとったり、自分でアクションを起こす勇気もパワーもなかった。完全に惰性だった。

 

 

高3になる直前、なぜだか身体がとてもよく動くような気がした。それまでなんとなくできなさそうで倦厭していた技がいくつもポンポンとできた。この調子なら。この気持ちと身体が夏まで持ってくれれば。毎日願った。

でもその願いも虚しく、4月に入って数日で身体が思うように動かない気がし、しまいには少し大きめの怪我をした。

右膝の半月板を損傷した。

その日はクラブの選手全員で叱られていて、監督も他の先生もみんな、練習をみてくれない日だった。

それでも自分でできる技をいつもと変わらず練習していたつもりだった。それでも気が緩んでいたのか、怪我をした。私の後にも2人、軽めの怪我をする子が続いて出た。

 

あーあ、と思った。痛いとか怒られるとか、そんな思いももちろんあったけれど。

試合出られないかなあ、練習したくなくなってるのにどうしてリハビリしてるんだろう、辞めたいって思ってたのにみんなが上手になるのはやっぱり嫌だなあ、でももう私はこれ以上無理だよ、とか。そんな気持ちをたくさん持っていた。

 

うちのクラブのコネというかそうパワーみたいなので国の機関でリハビリさせてもらえることになって、テレビで見る有名なアスリートと一緒にリハビリをした。

そのときはやっぱり、私もみんなみたいにキラキラしたいな、楽しく苦しく辛く頑張って結果がついてきて、気持ちいいだろうな、って。こんなにいっぱいかっこよく輝いてる人が周りにいるんだから、私もそうなれるはずって思ったり、なのにキラキラしてない私がとってもダメに思えたりして。

 

その年のインターハイは怪我が治りきっていなかったので補欠に回された。会場までは連れていってもらえるのに試合には出られなかった。プレッシャーもないし楽でいいじゃんとかって思ったりしたけど、どこかで悔しくて、腐ってた自分が憎くて、平然と試合してるみんなが羨ましかった。会場でほかのクラブの子と会っても、同じ土俵じゃない気がして、しんどかった。

 

それでも本気で頑張る気にはなれなかったみたい。もう無理だって気持ちの方が大きかったのかな。

 

今までずっと私たちについてくれていた先生が、私たちを担当しなくなった。私たち、と言ってもその頃には2人だけになってしまっていたが。腐れ縁のRと私だけ。Rとは喧嘩するし、新たに私たちにつく先生は何もわかってないしで、不安でイライラして、そのころには過食嘔吐が常態化していた。

夏の全日本Jrもそんな気分のまま臨んだので当たり前に失敗だらけだった。みじめだった。観ないで、って、過去のどの試合よりも強く思った。

でも、それが私の最後の公式試合になった。